2010/01/23
【管理者のボヤキ欄 第18投目  老人の集い編】
皆さん明けましておめでとうございます。 正月明けに「またひとつ歳
をとってしまいましたよ」などと言い回しすると、 “こいつ年寄りだ
な!”とバレてしまいますが、私も今年の二月で57歳となり3人の孫
のお爺さんとなりました。 本当にこの歳になると月日の流れの速さに
は驚いてしまいます。 つい数日前に以前より親しくしている友人から
珍しく「新年会をやらないか!」とのお誘いを受け、当地では老舗の牡
丹鍋にて新年会となりました。  そこで盛り上がる話は以前であれば
仕事か女かゴルフに興じるのが定番だったのですが、参加者の平均年齢
が65歳を超えた辺りから徐々に様変わりして、顔を見るなり「この前
会ったのは昨年の何とか病院の待合室以来だよなぁ」とか切り出してき
て、それもつい二、三日前だったかのように話しかけてくる。 挨拶も
そこそこに鍋をつつきながら出る話は持病の状況報告と自分の健康管理
の“お前もやりな!”的な解説付き報告。 そして極めつけは自分の過
去の華々しかった頃の自慢話とか、無茶をしていた若し頃の自分をつい
昨日のように興じ、話題はいつまでも尽きない。そう、この鍋囲みの衆
に限らず世間の中高齢者(私も含む?)の人々は何かと年月の経過に無
頓着で、現在の老いた自分を擬似否定しながら、やっとの思いで組織の
しがらみと時間の拘束に開放された人達なのです。  なのに在りし日
の自分の栄光を執拗に誇示連呼してしまうのはなぜなのでしょうか? 
多分それを守護神としないと他に“すがるもの”が無く、淋しくも今を
生きては行けないのだと思います。・・・と決めつけるとややも侘しい
気がいたしますが、これが箸も進んで鍋の底が見え出し呂律が不自然に
なってくる頃には建前が徐々に消えてゆき、本音が酒のまわりと共に現
れてきて、先程までの強気発言は影を潜めて懺悔めいたお涙頂戴話にへ
と変わる。なんとも愉快なご老人達か! で私となれば不思議にもその
諸先輩に否定的などころか肯定的ともなり、つい頭を撫でてやりたくも
なります。  で、新年早々から何やら侘しい話ばかりかと思いきや、
この度の私はこの鍋を囲んだ諸先輩にすっかり同化し、一人だけ番外で
居たかった今までとは違う風見鶏的な自分を発掘してしまいました。
それを諸先輩に話すと「お前はずっと以前から紛れも無く風見鶏そのも
のだ!」だそうです。
いつもの閉め合掌が本合掌にならないように気持ちを静めて合掌です!
  ハイ♪。 

2010/03/03
【管理者のボヤキ欄 第19投目 その一言が・・ 編】
今更ながら思う事ですが、宿泊客様には本当に多種多様な方々がおられ
ます。16投目で紹介したお客様のように自己中心的で周りの出来事に
無関心、更には全てに否定的か排他的な人が居ると思えば、これに相反
した嬉しい出来事が先日ありました。それは5泊を連泊されたお客様で
したが、チェックアウト後に清掃係りの者がデスクに置いてあったと、
メモ書きらしき物を事務所に持って来ていました。その内容は「いつも
綺麗に掃除をしてくれて有難うございました。」と短い文面ではありま
したが、この様にしたためて有りました。 この一言が私を含め、職員
達の日常業務に携わる者にとって如何に大きな励みとなる事か、読み終
わってとても晴やかな気持ちになりました。 またこれより少し前には
「毎日、掃除や片付けをして頂いて有難うございました。お陰で仕事も
うまく終える事ができました。 掃除係りの人へ」とありました。
無論、職員の皆の目に留まるように事務所に掲示いたしましたが、お金
を払えば客だ!などと云う人種には到底、理解不能な所作なのでしょう
ね・・・!  一昔前、大阪万博の頃に「お客様は神様です!」などと
云った大御所的存在の芸能人が放ったこのキャッチコピー的用語がその
年の流行語となった事を覚えております。この「お客様は神様です!」
のコピーは、前項のような事が理解出来ない人達を無秩序に助長させた
言葉だったように思います。 全面的には否定は致しませんが、我々、
直接商品を介さないサービス業に限らず、全ての業種に対して云える事
です。的確には的を得てはいないかも知れませんが、端的に“お客様”
を商人表現するならば、互いの商業活動と生活の糧の源であり、決して
“神様”ではありません。 何故ならば全ての人々が何等かの形で繋が
り、常に対お客様関係に有ります。どの様な形で今度はお世話になる側
か、またはお世話をする方の側になるか分らないからです。
お店で買い物をすると、お店から当然ながら「有難うございました。」
とか「またお越しくださいませ!」とか云われますが、その言葉を聞く
や否やに背を向けてさっさと立ち去るのではなく、ひと呼吸おいて一言
「ありがとう」の言葉を返してあげれば、お店側の人も“売ってやった
ぞ!” 的感覚から “買って頂きました” 的な対応に必ずや如何様な
店員でも反応すると思います。 この様な何処にでも有りそうなやり取
りは何時相反する立場に成るやも知れません。  また、よく食べ物屋
さんがTVインタビューでコメントを求められると「”美味しいかった
よ!”の言葉に今日まで支えられてきました。」とか食べ歩き番組など
で耳にしますが、何となく聞き流していたこの類の語句も、この“置き
メモ”の件以来は機敏に反応するようになりました。
この様な心のこもった言葉のやり取りは当事者に限らず、そこに居合わ
せた周囲の人々の心をも和ませています。  もっとも沢山の人が日常
的に多様な形で、この様に想いを素直に言葉に乗せる事が出来るとする
ならば、各々の気持ちのすれ違いによって起きる昨今の仲違いや犯罪も
必ずや軽減出来るものと信じます。  よって私も、カミさんがお茶や
コーヒーを入れてくれた時には、今までみたいに“おっ”とか“んっ”
とか意味不明の擬音的な返事を発するのではなく、卑屈にもやがては来
たるで有ろう老後を謙虚に見据えて、介護放棄されないように“ありが
とう”の一言を素直に躊躇なく言えるよう打算的に努力いたします。
よって今回は題名に合わせて、語調は弱くとも返事は調子よく、
ハイっ♪ です。
                 で、いつもより長めに“合掌”!
2010/04/07
【管理者のボヤキ欄 第20投目 数珠付き・・・大腸ポリープ編】
昨秋、健康診断での潜血検査に陽性反応有りの不名誉なご通知を頂き、
帰宅したカミさんに消沈とした趣きで報告すると、「まぁ今年もー♪」
と声こそ裏返りはしないが、ハシャギ気味にいささか嬉しそうに見えた
のは気のせいでしょうか・・・・。 かくして4年連続で“男”として
最大の屈辱と思われる大腸の内視鏡検査を受ける羽目となりました。
横向きワンちゃん姿となり、病院の購買部で半強制的に購入させられた
尻側に穴の開いたパンツから内視鏡を肛門から挿入して胃迄を20分近
くもまさぐり犯し続けられるのです。そうなんです! 私の肛門はこの
内視鏡検査直前までは辛うじて清き純潔を死守してきたのです。 なの
に見ず知らずの男達に初体験を含めて4回も・・・・・・。     
本来”挿入“は男の仕事と信じてきた私にとっては恥辱以外の何もので
もありませんでした。 更には「ポリープが有ったら切除して病理検査
してください。」と病院に事前にお願いしていたものですから、検査日
には入院の準備をして来るようにと云われていました。
しかし今まで3回とも何も異常が無かったので、今回もポリープは無い
だろうと勝手に判断して入院の用意をして来ませんでした。 ところが
今回は意に反して「〇〇さん ポリープが見つかりましたのでご要望ど
おりこれから切除します。 いいですね!」とか念を押されて、私も勢
いで「お願いします。」と云ってしまいました。
ポリープの切除が終わり、診察台から降りようとしたら「動くと傷口を
止めているクリップが外れて出血するので動かないで下さい!」と云わ
れてストレッチャーで病室へ運ばれてしまいました。
病室に着くなり看護士さんに点滴をされて「このまま点滴液が無くなる
2時間は安静にして動かないで下さい」とか云ってさっさと病室を出て
行きました。さぁー困ったぞ、入院の準備をして来ていないから下着も
無ければスリッパ、箸、歯磨き、石鹸、タオルetc・・・・・
と思っていたところに「お父さん!大丈夫」と聞き慣れた声。  点滴
針を刺された腕越しに声の主の方向を見上げると、次女が担当医の先生
から「君のお父さんにポリープが見つかったので切除したよ!」と聞い
たとの事で入院セット持って来てくれました。
そう、次女はここの病院に勤務しているのです。  思わぬ助け舟に喜
んで居たのもつかの間、次女が勤務に戻った後、入院セットを開けて見
れば箸が無くて、お陰様で夕食と朝食をワイルドに手掴みで食べさせて
頂きました。  翌日、何とか家に帰るとカミさんが私の顔を見るや、
「大変だったね。心配したよっ!」との第一声。 して2週間後、次女
からの連絡で病理検査結果、ポリープが良性で悪性のものでは無いと判
ると、カミさんが発した「良かったねぇ ガンでなくて」との声がとて
も残念そうに聞こえたのは私だけでしょうか・・・。
もう少しで数珠付き合掌になるところでした。     合掌

2010/07/21
【管理者のボヤキ欄 第22投目  平城京 編】
やっとの事で当館の最終段階のツイン、トリプルルームの改装も終わり
趣味が専業化?しつつある畑の方も玉ねぎ(3000個)を収穫し、例年よ
り3週間ばかり遅れはしたもののキュウリ、ナス、トマト、カボチャ、
シシトウ、トウモロコシと世間並みに一通りの夏野菜の苗を植えてやっ
と身の回りの用事が一段落したものですから、この蒸し暑い梅雨の最中
を以前より計画していた奈良へと行ってきました。思えば奈良は、小学
生の修学旅行で行ったきりで45年振りの再訪となりました。 元々は
気候の良い4月下旬に当館の改装工事の始まる前に行く予定で宿泊先の
予約もすませており、電車か高速バスのどちらで行こうかなと思ってい
る矢先に当館の改装工事が諸事情で早まり、断念した経緯があったもの
ですから余計に「奈良に行きたい!」との想いは募っておりました。事
前に奈良での散策コースはネットで用意周到に下調べを済ませており、
45年前の少年の目で見た神社仏閣建築と還暦を前にした初老の目で見
た場合の格差を最大の楽しみにとしておりました。
とりあえず奈良駅から平城京1300年祭会場へシャトルバスで回った後、
東大寺(大仏殿、正倉院、二月堂)若草山を徒歩で経由して春日大社と
見て回りましたが、見るもの全てが斬新に映り、45年間如き何ぞや。
此処だけはゆっくりとした時空が流れており、歴史の重厚さを凝縮した
建築美に圧倒されながら詳細にわたり感慨深く伝わってきました。
そして、つい時間の経つのも忘れて夕刻近く迄うろついてしまい17時
で閉館の為、予定してた興福寺、奈良国立博物館は明日に順延にと計画
の半分しか回れませんでした。
仕方なく予約していたホテルへと退散。ホテル内の温泉で疲れを癒し、
夕食はごく普通(奈良での名物が無い)に済ませて部屋へ。 明日予定
が多いので早めの就寝とベッドに横になったのは良いがカミさんからの
電話に起こされた。 「奈良はどう?」との問い掛けに「ああ、楽しい
けど歩き疲れたよ!」と生アクビをしながら返答。  「じゃあ フロン
トに云ってマッサージでも呼んでもらったら?」に即時反応してフロン
トに連絡すると、その様なサービスは無いので自分で勝手に呼んでくだ
さいとのそっけない対応。
仕方なく部屋に置いてあった地元新聞案内欄に、“派遣マッサージ”と
あったので電話すると20分程で到着するとの事。してしばらくすると
ノックがあり「開いてますからどうぞ」と私。  「失礼します」と若
い女性の声でドアーを開けて入って来た。声のする方へ振り向くと、ど
うも服装がアンマさんらしくないが、とりあえず時間が勿体ないので、
「浴衣を着たままでいいですか?」と私。 すると「いえ全部脱いで頂
いた方が・・・・」と“あんまさん”。   「えっ!マッサージを裸
で受けるのは始めてですが?」と私。 「あの・・お客さん電話すると
ころを間違っているのでは・・・性感マッサージってご存知ありません
か?」と女性。  「あまり聞いたことがありませんが、あんまさんで
はないのですか?」と私。「違います。性的なサービスをいたしますが
キャンセルいたしますか?」と女性。
「悪いけどそうしてください。」と私。 「ではキャンセルと言う事で
処理しますが交通費をキャンセル料として二千円払ってください。」と
女性。  して女性は柑橘系の香りだけを残して二千円を受け取るや事
務的に「失礼します。」と言ってさっさと帰って行きました。
えっ、どんな女性だったか気になりますか? ではお答えしましょう。
年恰好は35歳前後、スタイルは典型的な日本人体形で155cm位、
顔は何処にでも居そうなごく普通の醤油顔立ち、評価点を点けるとする
と100点満点中の45点位です。  報告は以上です。
翌朝、早めのバイキングでの朝食を済まて、昨日廻り損ねた興福寺を済
ませて奈良国立博物館へ徒歩で行くと工事中で11月まで休館との事。
せっかく歩いてきたのに残念!
気を取り直してバスで奈良駅へ。目的地の法隆寺駅に着くまでにと駅前
で購入した柿の葉寿司を電車の中で食べてると「ここ座ってもいいです
か?」と女学生の6人が途中の駅から乗り込んで来た。周りに空いてる
席があるのにと思いながら「ああ どうぞ」と言うと通路を挟んで6人
が座って来た。「あなたたちは高校生?」と問うと「いえ中学生です。
修学旅行で班単位で行動中でこれから法隆寺に行きます。」と元気に返
答。 「おじさんもこれから法隆寺に行くんだ!」と答えると「わぁ一
緒に行こう」と誘われてしまいました。
で、柿の葉寿司を再び食べ始めながら「柿食えば・・」に続く句は?
と私が問い掛けると「おじさん上手! お弁当の柿の葉寿司にかけたん
だ!」しばらく間をおいて対面の学生が体を乗り出して「“屁”が出る
なり法隆寺」と迷回答に周りの人達も爆笑。 車中は賑やかに一緒に写
真を撮ったりで、お陰で楽しい旅の終止符に花を添えて頂きました。
締め処が無くてクダクダと長文になってしまいましたが、今回はお寺参
りだけにそれこそ合掌はしっかりとさせて貰っておりますが、気を取り
直して合掌・・・・・。

2010/09/28
【管理者のボヤキ欄 第23投 みちのく編】
ここ最近、ボヤキ欄は当館での諸事よりも私的な内容の方が多くなって
きたなとお気づきの事と思います。      そう、ここのところ館
内での“ネタ”は希薄気味なのです。
逆にネタが無いと云う事は館内が平穏無事なんだとご解釈ください。 
と云う事で今回も強引に私的に終始したいと思います。 以前、高校の
同窓会を38年振りにした事をお話いたしましたが、今回もこれに懲り
ず “じゃぁー大学の同窓会もやろー“と軽卒にも思いつきました。
 で、辛うじて連絡の取れていた友人に声掛けしたところ「そんな事を
している暇はない!」とか「定年前でいつ肩叩きが・・・と思えばそん
な心境にない!」とかの悲観的な返答が続く中で建築学科で“紅三点“
の内の青森出身者の1人が「いいよ!」との快諾。私が大の航空機ファ
ンだった事で昨年、三沢の航空祭に行く予定がホテルが取れずに断念し
た経緯がありました。そこで今年は航空祭見物と十和田市現代美術館巡
りを兼ねてその“紅1点”に同窓会の準備のお願いにと出発いたしまし
た。  当日、岡山から羽田経由で3時間余、空港まで迎えに来るとの
事で36年ぶりの某女史はどの様に変貌しているのか、電話やメールで
のやり取りは有るものの顔を会す事はありませんでしたからドキドキも
のです。 三沢に降り立つと急いでトイレに入り用を済ませると鏡の前
に立ち、滅多に使った事のないクシを出して荒廃が進む頭にわびしくも
無駄な試みをいたしました。 して気分新たに到着ロビーへ・・・・。
「あれ?  某女史が見当らない!」 もし先に某女史が既に私を見つ
けていてこちらが解らないとなると気分を害するだろうな・・と思いな
がら出口へと進んでいると中年女性がこちらを向いて微笑んでいるでは
ないか! あっこの顔だ!と早歩き気味に近づくや「やあー久し振り」
と握手を交わしながら「・・・さん変わらないねぇー直ぐにわかったよ
」と私。 「・・・君こそ頭は少し・・・たけど変わらないね!」と先
ほどトイレで手入れをしたばかりの頭を見ながら私が一番気にしている
箇所をグサリと一突き。
こっちはかなりお上手を云ったのにそれはないだろうが・・・と思いな
がら某女史の後をついて行って車へと小雨の中を傘無しで小走りに移動。
  車中で「・・・君、本当は私が判らなかったんじゃぁないの?」と
某女史。 「そんな事ないよ! 直ぐにわかったよ!」と少し慌て気味
に私。  大学時代には異性として意識した事がない某女史の存在が幸
いしてか、何かと学事での助け合いとか学内の情報交換などでフランク
に接した4年間でした。しかし、某女史が私に協力的になった最大要因
は卒業試験に欠点の科目を私がお手伝いした結果、無事卒業出来た事を
義理固く今日まで覚えていて、話す機会があると話題にあがります。
して、このあと私は十和田市現代美術館をまわってからホテルへチェッ
クインし、某女史は母親のお世話にとひとまず自宅へと帰りました。 
  そして夕刻にホテルまで迎えに来てくれて某女史ご用達の割烹店で
夕食となりました。美味しい地酒に舌鼓しながら学生時代の話に盛り上
がっている所へ「今晩は」と45歳前後の見知らぬ男性が某女史の傍に
座るではないか! で、私と目線が会うや「うちのワンちゃんの調教師
だよ!」と紹介されるとペコリと頭を下げるやその男は無心に寿司をパ
クつき始めました。
「何だよ!せっかく36年振りに二人で盛り上がっているのに第三者が
入ってくるんだよ!」とブツブツ私。 それから1時間もすると某女史
は私に「母のお世話に帰ります。」と、その男といそいそ帰って行きま
した。  一人残った私は時間もまだ早いし板前さん相手に残りの地酒
を一瓶空けてからフラフラと寝床へと帰りました。 翌日は雨も上がり
航空祭に一日費やして二泊目も同じホテルへ。  翌日の帰りの羽田行
きの機内でやっと気が付きました。この某女史、女気こそイマイチだが
県内では有数の名士の家系の長女なのです。私と二人だけの食事では色
々の世間の目が・・・。  そこでこのお邪魔虫の登場となったのだな
と・・・。    そうこう勝手に思いを巡らせてる間に羽田に到着。
お江戸に嫁いだ私の長女夫婦と孫のお出迎えで上野へと向かい食事。お
かげ様で念願の岩崎邸をゆっくりと観る事が出来ました。 元気な孫の
姿に想いをはせながら最終の便で岡山へと帰りました。
めでたし!
     今回もグダグダと長文で申訳ございませんでした。  合掌

2010/12/15
【管理者のボヤキ欄 第24投目 カンボジア編その(1)序幕】
ここのところ当館も私を必要とするさほどの用事も無く、〇〇農園?の
方も大根と白菜の収穫を段階的にやっていて、今は週に一度行くか行か
ないかの開店休業状態となり、暇を持て余していました。 ある日、朝
刊をいつもより念入りに目をとおしていたところ、ある旅行社のツアー
の募集欄に目が止まりました。「カンボジア・アンコールワット・トム
の旅」・・・・・。 あっこれだ!これに参加しようと衝動的に思い、
一人での参加は出来ないとの事で早速に相棒探し。 最初に浮かんだの
が我が愛するカミさんでなく、第18投目「老人の集い編」で脇役に徹
したK氏(68歳)である。 早速、携帯電話を入れてみると留守。 
 忘れて頃にK氏から連絡が入り、「電話が入ってたけど何だった?」
といつもの調子でご返事。 で、いきなり私が「カンボジアへ行かない
か?」と問い掛けると「あの・・ベトナムの隣の国か?」と返答。  
「そうだよ」と私。  「何しに行くんだ?」とK氏。  「NPOで
未処理の地雷を堀りに行きたいんだ!」と本気ぽく冗談で返すと、「い
いよ!」とK氏。 呆気にとられて「’えっいいの?」と私。  で、
「地雷処理は嘘だけど、アンコールワットを観たいんだよ!」と話すと、
「わかっているよ!丁度、何処かに行きたいと思っていたんだ!付き合
うよ」とK氏。  K氏とは一回り年齢が違うが、私が建設会社の役員
をしていた頃からの付き合いで、あれこれ25年以上の付き合いとなり
ます。  女性の好み以外は“趣味嗜好、行動、考え方”が酷似してお
り、年齢的には大先輩ではあるが良き友人関係にあります。  当時、
K氏が役員をしている会社が発注する大型物件を受注させて頂いており
ました。 無論、K氏の力添えが有ってである。 そう云う仕事上での
付き合いもさながら、より個人的な繋がりの方が強かったように今では
思えます。K氏が私の会社絡みの物件で責任を取って会社を辞めると、
ほぼ同時期に呼応したように私も26年勤めた建設会社を自主退社しま
した。 それからでも10年以上の付き合いを続けている臭い仲であり
ます。  だから私がつまらぬ冗談や何食わぬ顔でもっともらしい話を
していても、何時ほどか先回りして“うっちゃり”かませてくる御仁で
ある。    そうしてついに待ちに待った出発日を迎え、岡山空港か
らチャーター機で台北経由にてカンボジアのシェムリアップへとご老体
の期待と夢と加齢臭とを乗せて旅立ちましたとさ。       
めでたし! めでたし!   合掌・・・。
※追伸……カンボジア編その(2)以降は来年早々に投稿いたします。