2011/01/11
【管理者のボヤキ欄 第25投目 カンボジア編 その(2)続編】
皆さん! 明けましておめでとうございます。 日本経済はとうとう不
況を克服出来ないまま管政権は年を越させてしまいました。 しかし、
当館はこの不況時に前年度比108%UPで当面の目標としておりました
大台をも突破いたしました。めでたし めでたし であります。 と、近
況報告はここまでとし、早速に昨年末からのカンボジア編の続きをお話
ししたいと思います。して、岡山空港を離陸したチャーター機は途中、
台湾近辺でかなり揺れましたが、その後は大した揺れも無く順調に飛行
を続けておりました。  が、しかし、さすがに暇潰し上手な私でして
も五時間も狭い機内にいると時間を持て余してきてしまいました。持参
した雑誌などを読み終わるとする事が無くなり、機内を見渡して参加者
ウォッチングをしてみる事としました。(元々、人観察好き)参加者の
殆どが定年を過ぎた顔ぶれで占めており、平均年齢はというと65歳は
軽く超えていると思います。内訳分類すると大半が老夫婦、老女仲間、
若しくは高齢の親子連れといったところである。男連れは私達だけでし
たので周りの人達からはどうやら変わった人…?扱いの目で最終日まで
見られていたようです。 最長老は80歳超えが5,6人はいるようで
した。そうこうしていると着陸のアナウンスがあり、カンボジアのシェ
ムリアップ空港へ着きました。 着いたのが夕刻でしたので、そのまま
バスでホテルへ直行、そしてウェルカムディナーへと臨みました。
この夕食を境に参加者160余名がバス定員の30人くらいの小グルー
プに分けられ、私達は3号車(最終日まで同一行動)となりました。
無論、食事の時も同じテーブルを囲む事となります。 さぁーそして当
地最初の食事の始まり始まりです。 乾杯の後、出てきたのはクメール
料理。 食べた事の無い香辛料で調理されており、慣れない香りと味に
苦戦を強いられ、素材が台無しになっているようにしか思えません。
折角の豪華料理に各テーブルのあちこちから「お腹が空いてても臭くて
食べられない!」との苦情が聞こえて来ました。  私もどれか口に合
うものは無いかとK氏と話していると、同じテーブルの向かいの老女が
私と視線が合うなり、「お兄さん達は親子かねぇー?」と聞いてきた事
に、“えっ“と困惑しながらも「ええ、そうですよ!」と疲れて面倒な
ので適当に答えK氏の方を向くと「お前それは違うだろが!」といった
視線を送ってくる。が、食事も進まないのでここは老女の話相手をする
事とし、「親父のつまらない遺蹟巡りにお付き合い旅行なんですよ!」
と今度はK氏の方を見ながら答えると、「そう、親孝行な息子なんです
よ・・・」とあきらめ顔で話を合わせてきました。すると老女が「見て
ると仲が良くて友達みたいな親子さんだね」と返してきましたが、いま
さら親子じゃ無いと説明するのも面倒なので聞こえない振りして無視。
その後も老女との会話は弾む事無く、食事もそこそこに中座して部屋へ
と退散しました。   翌日、朝食を早めに済ませてバスに乗り込むと
既に乗り込んでいた母娘の「お早うございます。」の挨拶に即反応して
「お早うございます」とオウム返しながら声のする方に目を向けた私。
 すると若くて(30歳前後)私好みの顔の造りの女性がニコニコ顔で
こっちを見て”目会釈“してくるではないか!。“掃溜めに鶴”とは上
手く云ったもので、それまでのオンボロバスに充満していた“加齢臭”
(死臭と云った方が適切)が一変して“華麗臭“と感じたのは私だけで
しょうか?   それからのバスでの私達の座席位置は彼女達の近辺に
調子よく陣取っている”擬似親子?“の姿が頻繁に見られましたとさ。
                めでたし? めでたし?  合掌

※追伸・・・・カンボジア編は続投いたしますので悪しからず。

2011/02/10
【管理者のボヤキ欄 第26投目 カンボジア編 その(3)続編】
乾季のカンボジアは日中はそれなりに亜熱帯だけに暑いですが、昨年の
日本の夏の猛暑に比べると過しやすいです。しかも朝夕はTシャツでは
少し肌寒いくらいで、女性(老女)なんかは薄いカーデガンを羽織って
いる人がいるくらいです。 よって雨季が明けるとカンボジアの遺蹟巡
りは世界中からこのシェムリアップに一斉に集まってきます。日本人を
筆頭に韓国人、中国人、米国人、オーストラリア人と続き、 とかくホ
テル内は国際色豊かです。 当地、シェムリアップは人口は15万人程
度のカンボジア第二の都市らしく、日中は観光客を乗せた車とか結構行
き交い賑やかですが、 反して夜ともなるとひっそりとして静かなもの
で、観光客の単独での外出は治安が悪くとてもお勧めできない。   
よって、我々“擬似親子”は昼間の観光で疲れた身体をホテル内のマッ
サージ施設(90分で25米$)で癒す為、せっせと夜な夜な通いまし
た。 “お父さん”はと云うと覚えたてのカンボジア語と英語と岡山弁
を混ぜ込んで現地のマッサージの女の子達と言葉が通じているらしく、
「わしゃーのぅ ※$*#&△じゃー・・・。?」とか訳の解らない事
を言っては結構ご機嫌よくワイワイ騒ぎながらマッサジーを受けている。
さて、4日間、遺蹟巡りをバスで周りましたが、いつしか座席は自然と
指定席化し、食事でのテーブルの方も同じ顔ぶれとなってしまいました。
よって例の“掃溜めに鶴”さん親子とは別テーブルに、代わりに老婆3
人(以後、婆チャントリオと称す)が我々にまとわり付く事となる。
この婆チャントリオ、食事が始まるやバッグの中から佃煮、ふりかけ、
梅干、漬物 海苔 等々が次々と出て来てウェイターもビックリ。
して、あるレストランでの昼食中での事。 自分達が食べ終わると周り
を見渡すや手招きでウェイターと添乗員を呼び「隣のテーブルには・・
・が有るのに何故、私達には無いのか!」と詰め寄る。すでに自分達は
食事が終わって食べられないとの事で責任者を呼びつけて代償を求める
(代償は一人当たり缶ビール2本となった)・・と、かなりの恐喝的な
御仁である。 して我々は居心地が悪くてテーブルを外すや遠巻に部外
者ツラして笑って見守るしかない・・・・・。    してバスに戻る
やこの“婆チャントリオ”先程、食事をしたばかりなのに3人が相談し
たかのようにお菓子を取り出して黙々と食べ始め、バス内に「ガサガサ
 バリバリ」と音が鳴り響く。あげくに添乗員に大きな声で「添乗員さ
ん!お茶を持ってきて来てやぁー」と、もう誰も止められない!。 遺
蹟巡りの方も大変です。 自分達が集団からはぐれた時なんかは添乗員
に詰め寄り「あたし等の歩く速度に合わせないからだ!」と怒り心頭。
さらには添乗員の説明を聞かないでおいて、迷子(迷婆?)なった時は
「あたし等は耳が遠いけぇー説明がよう分らんかったんじゃぁー」と開
き直る。    もう「そこ退けそこ退け婆ちゃまトリオが通る!」の
何でも有りである。   と、観光よりは人間ウォッチング(私の趣味
でもある!)に趣が変わってきている自分に気づいたカンボジア編
その(3)続編でした。 ・・・・・・・合掌。

2011/03/21
【管理者のボヤキ欄 第27投目  緊急支援】
東北地方を襲った大地震と津波、想像を絶する災害の実態。まるでCG
画像を見るような各局の放送。この悲惨さに比べ、放送番組以外は何ら
日常の生活と変わらないこの地域。何か私で出来る事は無いかと思い立
ち、当館の在庫品で支援物資となりそうな物のリストアップを職員に指
示。  さらに私が以前に勤めていた会社(2社)、取引関係にある会
社(13社)に連絡を取って社内での支援活動のお願い。しかし数社の
会社は無反応、挙句は「支援活動は国や自治体、赤十字がするもの」と
言い切りました。 呆れて唖然としてしまいました。 なんと・・・・
のない人達。 こんな人達が居るから「岡山県人の歩いた跡はペンペン
草も生えない!」と佐賀県人と並んで戦前より他県人から蔑視されてき
たんだと思ってしまいました。 つまり両県は歴史的にみても大きな地
震や風水害が少なく、大多数の人達が被災者となったり悲惨さを体感し
た事がほぼ無いに等しい。 よって協調性が無く、自分さえ良ければよ
い!と云った利己中心的な考えが毅然として定着しているとされ、不覚
にも今日に至ってもまだ少数の県民にはこの先天性障害が宿ってるんだ
なと思ってしまいました。今回はそういった稀な岡山県人に遭遇した無
念な機会でもありました。そして民間に限らず自治体の対応にも落胆さ
せられました。13日の朝に市に電話「当館で毛布 タオル 等の生活
物資の支援の準備をしているので窓口を教えてください」と私。 「そ
の様な窓口は新見市には無いので他機関へ、義援金なら受け取る」との
総務担当者。 で私が「市民からの支援物資を収集して現地に送る事は
しないのか?」と問うと、「今、被災地が何が必要かが分からないし、
送るとかえって迷惑になる」と返答。で、「被災してもう3日にもなる
のに新見市は現地が何を必要としているか把握してないのか?」と私。
 すると「・・・・」担当者、無言。  感情的に「誰が考えても毛布
飲料水 即席食品 等が真っ先に要るんじゃぁないんですか?」と私。 
「ではこれから検討してみます」と市担当者。  この緊急時になんと
危機感の無い人達。 つい「お前は死ぬまでずっとそこで考えてろ!こ
のバカめが」と喉チンコまで出かけてました。 その様な人達に相反し
て私の周辺の人達は支援物資(毛布 バスタオル 等)を当館に持ち込ん
で「ここの支援物資と一緒に送ってくれ!」と寄せられ、その熱き想い
を救援物資に託し、新見市ではなく備中県民局新見支局へ。  17日
になって新見市もようやく重い腰を上げて国際貢献大学のルートを通じ
て支援物資を集めだしました。  今回の大惨事の被災者の悲惨さに、
目を背け(見ても見ぬふり?)手を貸す事無く理不尽にも“のほほん”
と日々を過ごしてるおめでたい人達よ!  いつ自分達が次の被災者と
成り得るかも知れない事に一刻も早く気付くべきです。 いざそうなっ
た時、あなた達は救援の握り飯を食べる資格なんぞ微塵もありません!
と今回の私は少しばかり右に傾いて熱くなってしまいました。 早速、
福島に行って自衛隊の放水で頭を冷やして貰おうかな……。 今回のブ
ログ、お気に障った方々にはどうぞご容赦ください。
それこそ合掌です。
そして東の方角にさらに深く深く合掌です。

2011/04/19
【管理者のボヤキ欄 第28投目 お返し!】
混迷を続ける原発事故処理。 全ての処理が後手に回り、決め手に欠く
民主党管政権。   その事態を遠巻きに傍観し、手を貸す事無く非難
に専念する自民党。  そんな混迷の最中、今回の災害に対して国内外
の多くの人達が多種多様な支援活動しておられます。   微力ながら
も当館も県を通じて支援物資を送り、そしてまた第二、第三段と息の長
い支援活動を目指して現在も準備中であります。  個人的には以前、
土建業界で培った経験が少しでも役立てばと連休明けにはボランテア作
業に参加する予定で準備を進めております。 また、この災害で我が子
を残しながら無念にも亡くなられたご両親に代わり、孤児達の里親とし
てもお役に立てればと先月、関係機関に申し出をする前に家族に相談を
いたしたところ、次女の猛反対を受けましたが、「昨夜は親を取られる
様な気がしたから・・・でも私達は巣立ったから」と翌朝には気持ちよ
く了解してくれました。 私もカミさんも孤児達に「お母さん、お父さ
ん」と呼んで貰えるような関係が築けたらと早くも時期尚早な妄想を描
いております。 この孤児達が社会人となり、私達の家から巣立っても
帰郷する場所はやはり我が家であって欲しいと願っております。もう既
に子育てを終わり、会社からも社会からも必要とされなく成りつつある
私達夫婦ですが、社会に恩返しをする為だけでなく、心身ともに老化の
進む自分達をも第二の人生として奮起させて頂く為にも、その機会が与
えられる事を強く切望しております。  して先日、某新聞社に里親の
申し入れの相談したところ、既に市内で23家族から孤児の受け入れを
希望されているとの事。 同じ想いの人達が多数居られる事に安堵する
とともに、新見を第二の故郷とする事となる孤児達が一人でも多く受け
入れられ、そして凛とし大きく巣立って行く事を切に願っております。
 一方、新聞紙上ではいつになっも確定しないまま増加を続ける死亡者
数、そして行方不明者数。 この多くの方々が心無く安心して成仏され
ますよう、少なくとも私達は残された人生を与えられた時間と考え、人
としての課された役目を果たすべく時間として消費すべきと考えます。
                              合掌
2011/06/21
【管理者のボヤキ欄 第29投目 癒し編】
前回のボランティア活動で若い頃からの持病でもある腰痛とヘルペスと
を再発させてしまいました^^;。 性格的に前へ前へとしゃしゃり出
る習性が有り、なぜか今日まで制御出来ないで今や60歳を迎えようと
しております。と云った諸障害でチョット無理をしたようです。 次回
からは「歳相応に!前に出ない!口を出さない!」をキャッチにと考え
ております。  すっかり壊れた身体を癒す為、東京から中央本線で信
州(松本 長野 安曇野)へ行ってきました。 無論、新宿発の特急
“あずさ号”です。 一昔前に「8時丁度のぉ〜あずさ2号でぇ〜♪」
のフレーズで大ヒットした曲がありましたが、一度は乗ってみたい列車
でした。 現在は8時発の特急はあずさ2号ではなく、あずさ5号とな
りましたが、松本まで2時間38分の楽しい列車旅です。 して、いつ
もの隣席情報です。久し振りに先程のヒット曲の影響されてか懐かしい
曲をMPで聞いていると「その席よろしいでしょうか?」と女性の声。
慌ててMPのイヤホーンを外しながら「ええ どうぞ」と私。 大きな
荷物を網棚に載せようとする女性。「手伝いましょうか?」と私。 す
ると「ありがとうございます。お願いします」と女性。で、立ち上がっ
て大きな荷物を女性から受け取り持ち上げた時に変な痛みを腰に感じま
した。あっ、そう云えば腰が痛かったんだ!とふっと思い出しましたが
遅かりし。 その痛みについ「あっ 痛っ」と声をあげた私。「大丈夫
ですか?」とその女性。何とか網棚に載せて席に落ち着き、またMPの
イヤホーンを耳にして続きを聞いていると何時の間にやら眠ってしまっ
てた私。 で、隣席を見ると降車したらしく空き席となっていました。
「なんだよ! 降りる時には礼ぐらい言えよ!」とブツブツ私。 で、
女性情報です! 歳は40歳前後、体型は細身、髪は黒色で顔の形は卵
型。 顔の造作はと云うと、話し掛けずにMP聞きながら寝ちゃったく
らいだから私好みではなかったんだと思います。 そうこうしてる間に
新宿駅8時丁度発の特急あずさ5号は10時38分の定刻とおりに信州
松本駅に到着です。 続編は今月末に! 乞うご期待です!
                              合掌 

2011/08/02
【管理者のボヤキ欄 第30投目 癒し編】
29投目からの続きです! 新宿駅8時発のあずさ5号は定刻とおりに
信州松本駅に到着。今夜の宿泊予定のホテルに荷物を預けてから歩いて
20分の国宝 松本城へ。  歴代藩主、6家23代に渡り、受け継がれ
て300余年。 明治政府の売却による解体危機を逸し、明治の大修理
によってこの優美な雄姿を今日においても輝かせております。 西の姫
路城、東の松本城が東西の両横綱といったところが誰もが認めるところ
でしょう。個人的には内部の構造や造りは無骨な松本城の方が一歩前。
 そして旧開智学校を見学した後くらいからすっかり疲れてしまいタク
シーで駅近辺にご帰還。 そして地酒と信州蕎麦で遅い昼食を済ませて
から電車で穂高駅へ向かう。そうです! NHK朝ドラの舞台となっている
小雨の安曇野を貸自転車で散策です。雪冠を覆った北アルプス連峰その
雪解け水を集めて流れる梓川、途中の田園風景と水草が泳ぐ小川そして
道祖神、ここには忘れかけた日本古来の原野風景がまだ残っています。
 私が記憶してる風景の中ではまず一番だと思います。    これで
この雨さえ無ければ尚更の事です。 そして帰りに寄った碌山美術館に
入るや夕立が降りだし、夕立があがるまでゆっくりとさせて頂く事とい
たしました。 この美術館は荻原守衛作のブロンズ裸像「女」を展示して
いる事でも有名。  で、拝見させて頂きましたが、どうしても視線が
下半身や豊かな乳房に集中、悲しいかな美意識よりも荒廃しつつある煩
悩を目覚めさせてしまう。しかしこの女性の顔は決して美人ではないが
表情がもの寂しく清楚で現代女性に無いものを感じさせます。 そして
雨もあがり、芸術をいとも簡単に超越した煩悩と共々、松本へと帰って
参りました。  夕食は豪勢にと松本市街地へと繰り出しましたが、明
日の予定(立山アルペンルート)の出発時刻が早い事もあって、名物を
と勇んで出たのに結局はファミレスで軽く済ませてしまいました。 翌
朝、ホテルのレストランが開くと同時にバイキング(種類はわずか)で
の朝食を済ませると急いで松本駅へ。 大糸線で大町駅で行き、路線バ
スに乗り換えて1時間弱で扇沢に到着。さぁーここからがアルペンルー
トの始まりです。  続きは次回に! めでたし めでたしです。  
                    
2011/08/08
【管理者のボヤキ欄 第31投目 続 癒し信州編】
長野側始点の扇沢からトロリーバスに乗って映画化(黒部の太陽)され
た事もある黒部第4ダムへ、立山を背景にした国内最大のアーチ式ダム
ですが、とにかくデカイの一言に尽きる。岡山県の高梁市にも同型のダ
ム(新成羽川ダム)が有りますが、スケールは比較にならない。 そこ
からケーブル、ロープウェイと乗り継いで室堂に到着。室堂は雪壁で有
名、この時も10mの積雪は充分にありました。 1時間くらい雪の壁
をゆっくりと堪能してから帰途の為、ロープウェイ乗り場に向かってい
ると何やら騒がしい。切符売り場に着くと50人くらいの某国人の団体
が“たむろ”していて次のロープウェイ待っているらしく、ほぼ全員が
大声で喋っている。 この集団とは同じ箱に乗りたくないと思い、次に
来る箱にと時刻表を見ると、まだ30分以上もあるので近くの立ち食い
そば店で時間つぶし。 で、次に来た箱に乗ると別の某国人の団体の出
現、仕方なく同乗する事に。とにかく騒がしくて折角のアルプス案内の
車内アナウウンスが全く聞こえない。 なんでこの国民はこんなにも騒
がしいのか不思議だ!「高圧的 恫喝的」と世界中からその政治手法や外
交が非難されているが、民間人にいたっても同じくと云ったところだ。
 最近は私の居住地のスーパーや病院とか公共施設でもこの国民をやた
らと見掛ける様になりました。全般的にとにかく場所を選ばず“やかま
しい“です!。以前、病院でいきさつ上で注意した事がありましたが、
逆に食いつかれた経験からトラウマ化し”取り合わない人達“と私の頭
には設定済みです。(注・・あくまで個人的見識です!) そうこうし
ている内に立山アルペンルート長野側始点の扇沢へ到着です。 さらに
バス、電車と乗り継いで松本に到着するやホテル内の温泉で歩き疲れた
身体を癒し、夕食もそこそこに旅日記もつけずにさっさと寝床に就きま
した。 さぁー明日は念願の長野善光寺。 翌朝、かなり早目の朝食を
済ませて小走りに松本駅へ、篠ノ井線で7時30分発の長野行きに乗車
しました。車内はほぼ通勤客や学生で満席状態。目標の座席の向い席に
は若いカップルが既に鎮座しており、私が「その席よろしいですか?」
の問い掛けに、どうやら寝ていたらしく不機嫌に向かいの座席に置いて
あったバッグを除けてくれました。「すみません ありがとうございま
す」と私。やはり無言で返答する事無く二人とも目を閉じて眠りの続き
に入ってしまいました。 で、向かい席情報です。 男女とも30歳前
後で容姿もまぁまぁと云ったところだが、恋人か夫婦にしてはお揃いの
ビジネススーツってのは不可解。職場仲間にしてはくっつき過ぎで、女
性の右手が不自然にも男性の左太ももに載せてある。と詮索していると
女性の頭が前屈みに男性の肩にもたれ掛かり、広めに開けたブラウスの
胸元からベージュ色のブラとともにかなり豊かな胸の谷間の出現です。
 ”ええっ”と慌てて一時的に目線を退避させた私。 だが又もや先日
の煩悩殿が怪しくも目を覚まし、意に準じて目線は“元ぇー戻れっ!“
であります。 おかげ様で終点長野までの時間を短く感じさせて頂きま
した。
めでたし! めでたし!   乞う【癒し信州編】次回は最終回です。

2011/08/19
【管理者のボヤキ欄 第32投目 続 癒し信州編】
信州善光寺と云えば「遠くとも一度は詣れ善光寺」「牛に引かれて善光
寺参り」などの語句で有名ですが、2008年(平成20年)中国のチベット
への弾圧に抗議し、善光寺は同じ仏教徒として北京オリンピックの聖火
リレーの出発式会場を辞退いたしました。この件で善光寺の名を世界的
にも知られる事となったのは記憶に新しい。本堂は昭和28年国宝に指定
され、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院である事か
ら、宗派の区別なく宿願が可能な霊場として広く世間に知られている。
さて、能書きはそこそこに本堂の内陣券(本堂の床下の真っ暗な通路を
通り、本尊の阿弥陀如来が安置されている「瑠璃壇」という小部屋の真
下にあるとされる「極楽浄土への錠前」に触れる「戒壇巡り」が体験で
きる。)を購入して早速祈祷を済ませた後、今回の宿願の「戒壇巡り」
を初体験。 ご本尊の真下の真っ暗な迷路を手探りで歩いて行く。やっ
と出口にたどり着くと階段の上から「中はどうでしたか?」と若い女性
の声。”えっ“と声のする方に目をやるが、暗闇から出たばかりで眩し
くてよく見えない。 階段を上がるや「善光寺は始めてで“戒壇巡り”
をしたくて来たのですが、怖くて・・」と女性。 「僕も始めて入りま
したが、一緒に入りますか?」と私。  「いいですか? お連れの方
は大丈夫ですか?」と女性。やっと暗闇からの目が慣れてきた私。で、
その女性を改めてよく見ると35歳前後で顔立ちが私好みの造作で磨き
が掛かっている。 「連れは居ません! 一人で来ましたから大丈夫で
すよ! 一緒に・・」とかなり強引に私。 最初は手をつないで暗闇を
進んでいたのですが、後方から来た人に追い越され際に手を離さなけれ
ばならず、そのまま出口へ。 「有難うございました。」と女性。「一
人で来られたんですか?」と私。 「そうです・・・・」と女性。「後
をご一緒にどうですか?」と喉チンコまで出掛けていた言葉を、何を血
迷ったか「それじゃあー」と云ってしまった私。 「ありがとうござい
ました。」とその女性。 女性と別れてその後、資料館を拝観して、山
門出口へ向かっていると、またその女性とバッタリ遭遇。 「どちらに
行くんですか?」と私。 「資料館に行きたいんですけど場所がわから
なくてウロウロしてます。」と女性。 「今、僕は出て来たとこです。
一緒に・・・」とまで言ったところで女性の携帯電話の呼出し音。「す
みません」と言って場所を少し移動して盛んに話込んでいる様子。数分
ほど待っていると「すみません ホテルの方へ帰らなければならなくな
りました。」と女性。「それじゃあー」と肩落ちした返事を返した後、
昼飯には早いし、帰りの新幹線(長野新幹線)までもかなり時間が有る
のでチョット休憩。山門を出たところのバス停前に有った大正ロマンの
漂うホテル「藤屋」の茶房でコーヒーでも飲みながら店内に置いてあっ
た冊子で時間を潰す事に。 30分程で一冊を読み終ったので、新聞で
もと立ち上がりながら窓越しに外へ目をやると先程の女性が何やらキョ
ロキョロ周辺を見渡しながらバス停に立っているではないか!「ひょっ
として私を探しているかも・・」との期待感と「勘違いだったら赤っ恥
を・・」との迷いとが交差しつつも、慌ててコーヒーのお替りを注文し
てしていたのをキャンセル。 清算して店の外に出て見ると遅かりし、
どうも先程のバスに乗ったらしく姿が見当らない。何と縁の無い事だ!
でも勘違いで赤っ恥をかかないで良かったと慰めの自問自答。そのまま
次に来たバスに乗って長野駅へ。 そして駅ビルの中にあった和食店で
チョット早い昼食に生ビールと信州蕎麦に舌鼓を打ちながら反省会。そ
もそもが還暦を前にして少しばかりの出会いの展開に妙に期待を膨らま
かせた事に懺悔の念しかり・・・。 でもあのまま資料館に一緒に行っ
てたらその後、どの様な展開になったんだろう・・・とか。あの時バス
停で再会出来ていたら・・・と、ここに至っても初老の想い(妄想)は
尽きない。 だから一人旅は楽しいのです。今回の信州の旅で出会った
人達に心より感謝、感謝です。    めでたし  めでたし
               「続 癒し信州編」のおしまいです。

2011/11/08
【管理者のボヤキ欄 第33投目】
震災復興、原発処理、円高 経済減速問題 等々・・・山積された多くの
諸問題を抱え、混迷を続ける民主党政権。 海外に目を向けると、ユー
ロ圏の経済問題、中国の覇権問題・・・と国内外、問わず紙面を毎日に
ぎやかしている。   そんな折、当館にさしたる用事も無く、私は
と云うと、いつものマイペースで前回の旅行で見落とした奈良国立博物
館の正倉院展と京都御所の一般公開を目玉とした1泊2日の小旅行へと
出掛けました。 無論、一人です!  当日、新見駅4時58始発の普
通電車で岡山へ6時21分に到着。そこから、新幹線、環状線、奈良線
と乗り継いで9時前には奈良駅に到着。さらにバスで奈良国立博物館前
で下車。 4時間もの時間と労力を費やし、やっと目的地に降りたって
一際、感激です! しかし、正倉院展入り口周りには既に多くの老若男
女が列をなして入場を待っている。 その最後尾に並びつつ、昨年、春
に訪れた時には工事中で閉館となっていた苦い経緯を思い出し、今回の
再訪はネットで念入りに下調べして力が入ってます! 今回の展示物の
中でも注目度NO1は大河ドラマや時代小説にも度々、登場する香木の
「黄熟香」 別名は「蘭奢待らんじゃたい」。 そして約15分くらい
の待ち時間でやっと館内へ。 すると奥ほどの一角が一際、人だかりに
なっているブースがある。 多分、「蘭奢待」のコーナだろうと思いな
がら近づいてみると案の定、正解。   「あえて平日を選んで来たの
に多いなぁー」とブツブツ云いながら進んで行くが「蘭奢待」どころか
近くにも寄れない状態。それでもポマードと加齢臭の発信源を押し退け
て、やっとケース右前にたどり着くが、オバさん3人がケース真ん前を
占拠していて「蘭奢待」の紙箋がこの距離では読めない! 肘で押し進
みながらの格闘10分・・・やっとの事で紙箋の読める距離に到達。
 そして、その紙箋の文字を確認出来た時の感動たるや特筆ものです。
時の権力者によって翻弄 搾取され、切取り箇所に恨めしくも足利義政、
織田信長、明治天皇と紙箋が付いている。 でも明治天皇が切り取るの
は皇室の所有物だから別に「お前ぇが取ったんだぞー!」と云わんばか
りの紙箋などを付けなくてもよいと思うんだけど・・・・? と思って
たら間違っていました。
【解説】・・元々は東大寺が所有していたとされる事から「黄熟香」と
呼んでいたのを時代背景により「蘭奢待らんじゃたい」と呼び、この3
文字に遺恨?を託し、「東大寺」との文字が隠されていることからその
名の由来が少なからず想定できる。        そして、もう一つ
の目玉、聖武天皇の所持品とされる宝刀「金銀鈿荘唐大刀」を拝観して
から館外へ。  館外では多様なイベントコーナーが設けられ、人気は
やはり「蘭奢待」の香り実体験。で、私も還暦にて初体験致しました。
 それは中世の嗜好たるも気品高く、謎めいた奥深い香りが致しました
・・・?。 この影響を受けてか、この後、巡る予定の薬師寺で同じよ
うな香りの線香を購入してしまいました。  奈良駅に戻って昼食して
から、唐招提寺と薬師寺へと思っていたのですが、丁度タイミングよく
そっち方面のバスが来たので、昼食は後回しにしてバスに乗る事に。
  では続きは次回に!
今回は「・・・情報、出会いetc」 はございませんでしたので悪しから
ず。                            合掌

2011/11/25
【管理者のボヤキ欄 第34投目】
33投目の続きです!  やがてバスは唐招提寺前の停留所に到着。 
以前から一度は訪ねてみたかったお寺だけに、つい気持ちが高ぶってし
まったのか、不徳にも大きい方をもよおしてしまいました。“つまると
ころ”手洗い場探しの方が先決となります。 
して、スッキリとして不浄と化した手をよく清め、心穏やかになったと
ころで拝観であります。 作家、井上靖の「天平の甍」にも登場する唐
招提寺の金堂は、唐の国から鑑真と一緒に来日した8人の弟子の一人に
よって建てられたとする天平建築である。  寺名の唐招提寺もこのこ
とが由来と考えられる・・?(個人的見識)。 その後、徒歩にて薬師
寺に向かうが、道中で店構えの古式な蕎麦屋を発見。蕎麦に目が無い私
にとっては、予定行動を錯乱させる大敵であります。 店構えと店員の
迎え方でその店の味はほぼ決まりです。 別にそば屋に限らず、他の業
種でも建物や設備の新旧に関わらず、一番大事な事だと心得ます。 そ
んな能書きはともかく店内に入る事に。 「ようこそ、いらしゃいまし
たぁ!」と入り口の店員の掛け声。 「はい お世話になります」と、
ご機嫌と調子の良い時の私のご返事。すると「何を差し上げましょ?」
とカウンター越に現れた上品な顔立ちの女将風の中年女性。 「このお
店のお勧め品でお願いします」と私。 「では、冷たいお蕎麦と天婦羅
のセットでいかがでしょう?」とその女将風女性。 「天婦羅はモンゴ
ル産のお塩で食べていただきます。」と追い討ち的に追加説明。 その
強い勧めに押されて「じゃあーそれでお願いします」と私。  さらに
「お蕎麦も一口目はそのモンゴル産のお塩に付けていただくとお蕎麦の
味と風味がよく判りますので、宜しかったら試してみてください」と自
慢顔でその女将風女性。  ビールの肴に天婦羅で一杯やっていると、
お目当ての蕎麦の登場。 自慢するだけはあって、新蕎麦なのか、香り
高く美味しい昼食となりました。 そば屋を出てから、ほろ酔い気分で
歩く事、5分。 薬師寺特有の伽藍、東西2本の三重塔が見えてきまし
た。 私が訪れた寺院の中では規模こそ法隆寺や東大寺には及ばないも
のの、伽藍と塔の優美さは特筆物です。 この三重塔(一見、六重塔に
見える)が薬師寺の顔と私の中では位置付けされています。  拝観が
終わって山門出口の土産店で線香の香りに覚えが・・・。    そう
です! ”蘭奢待“の香りがしていたのです。  そこで店員さんに、
「この香りの線香をください」とお願いしていると、隣で同じく線香を
物色していた夫婦の顔に見覚えが・・・。後で名前は判ったのですが、
俳優の浜畑賢吉 上村京子 夫妻でした。 私と目線が会った時に声を
掛けたかったのですが、その時は名前が浮かばなくて軽く目会釈を交わ
しただけで、私の得(え)とする会話にまでは残念ながら発展しません
でした。して、その場を後に近鉄奈良線で今夜の宿の大阪市内へと戻っ
てきました。 京橋駅(非常に複雑怪奇)でホテル方向の出口を探して
ウロウロいると、「A型の血液が不足しています! 献血にご協力くだ
さい!」と呼び止められました。 そうです!私はA型なのです。ホテ
ルの予定チェックインまで時間があるので、献血に応じる事に。
続きは次回に・・。     合掌